なぜ自分は受験指導にはまったのか、受験指導は今後どう活きるのか
今日は慶応義塾大学薬学部の試験当日。1年生の時から英語を家庭教師として教えている生徒を三田キャンパスで見送ってきました。
また1人送り出した、という感覚でこの瞬間は特別なものです。
家庭教師をやるのも最後なので、受験指導をやりきった感もありました。
普段だるい授業を受けている教室が受験生にとっては「戦場」となる。つくづく、空間や数字、物に意味付けを行うのが人間なのだな、と思います。
受験指導にはまったわけ
高校受験に失敗し、これ以上ないくらいのコンプレックスと劣等感を抱え、高1のときからサッカーしながら猛勉強。最後の高校サッカー選手権で都大会まで勝ち進み3年の高3の9月まで毎日部活をやりました。
11月とかはバスで全滅したらどうしようという涙もろさを露呈しながらも、そして一発目の上智外国語に落ちて浪人を覚悟するものの、最終的には早慶上智の4学部に合格し、人生において初めて「大勝利」を収め、受験コンプレックスを克服したのが大学受験でした。
受験の厳しさは挑戦してみた人にしかわからず、高校生にいくら厳しい世界だよといっても理解されるわけもなく、A判定でも余裕で落ち、お金をかけたからといっても成績が上がるわけでもなく、費用対効果は曖昧で、不確実性に満ちている。
だからこそ、自分の受験経験を生かし、「高校生がとうてい自分では思いつかないような効率的な勉強法を教え、結果を出させる」のが楽しくて大学に入学以来受験指導を続けているのだと思います。
⇒いい感じの大学に受かった人が塾講師家庭教師をやる一番よくある理由(笑)
早稲田に生徒が受かってしまった
大学1年生のときにまさかの受験2ヶ月前の12月に浪人生を教えてくれないか?と当時登録していた家庭教師会社の社長から電話がかかってきて、(その社長は元リクルートで先日もランチをし、今会社が急成長しているらしい!)
早稲田の文化構想が第一志望の子の英語の指導をやってほしい、といわれ何度か断ったものの、まあやるかとなりやりました。
その浪人生をみて最初に感じたことは「勉強の仕方が甘い」。
「勉強の基本はできないことを他人の力や情報を頼らずに自分でアウトプットできるようになること」なのに、むやみやたらと参考書に手を出しているものの全く暗記しきれていない。
とはいえ、時間もないので早稲田の文化構想、商学部の効率的な解き方を自分で考えて徹底的に教えました(目の動き方の修正、設問の解き方、解く順番を指定など本当に細かいところまで)
その結果、早稲田商学部、青山経済とか受かってお母さんに泣きながら感謝され、「受験指導って余裕だな〜」と調子に乗りました(汗)
昨年の慶應経済不合格でメンタルやられた
まあいきさつはおいとき、大学3年のときも家庭教師をしました。今度は数学受験の慶應経済志望の子。
センターでは英語が188点、河合模試でも英語が偏差値75、数学65、国語も65という「なんだー余裕で受かるじゃん」てきな状況まで成績アップができたのですが、結果は早慶上智全滅。(しかも慶應経済は英語9割とれたのに)
今は立教の経済に通っています。相当反省しました。
お母さんにも、落ちた生徒にも「あんなに手厚く教えてもらったのにごめんなさい」と言われれば言われるほどつらかったです。
落ちた理由は明確で「数学で平均点以下をとったこと」です。
英語が9割とれたのに数学で失敗したのです。僕は数学は指導してないですが、ミスがあります。
「英語に時間を使わせすぎた」
もう偏差値が安定している科目にさらに時間を使わせたのが敗因でしょう。
同じ失敗は絶対に繰り返さない
そうとう反省し、次の年(今年)も慶應薬学部、慶應経済を目指している生徒の家庭教師では、
「できるだけ英語を勉強するな」をコンセプトに。
英語は3年の4月で偏差値65,化学50,数学60くらいの実力だったので、
ROIが高い英語の勉強の仕方を考え、できるだけ英語を勉強しないようにし、化学と数学を一週間のうち7割以上時間を割くようにスケジューリングしました。
僕は化学と数学を教えられないので、勉強の仕方とスケジュールだけアドバイスしていましたが、春に偏差値50だった化学が今は65以上にまでアップ。
「平均点以下をとらないで全教科で7割以上とること」が1番合格に近づくと何度も伝えました。
自分としては「戦略に基づき時間の使い方を変える」ことの重要性を体感できました。
受験指導が今後に役立つこと
受験をやってよかったのは、受験に限らず教わる側の理解度をすぐに察知できるようになったことです。
「教える」という作業自体は勉強に限らず今後も必ず必要とされるスキルです。受験なのかマネジメントなのか作業なのかの違いだけです。
CA藤田社長も次の社長は「1番人を育てた人」にすると言っていますし。
僕は少し説明したら相手にアウトプットをさせて理解度を確認します。
かといってへんな発言したら馬鹿にされるんじゃないかてきな雰囲気を消して、とりあえず説明したり意見をしたりすることが良いてきな風潮を出し、この人の言うこと聞いていれば上達しそう、勝てそうと思われる事が大事だと感じています。(まあまだまだですが)
教える事に重要なのは「お前ならできるてきな期待」もそうですし、「教える側の熱」、「相手の理解度に合わせた言葉遣い」、「できるようになるまでのプロセスの細分化」などありますが、そのへんはまた今度。
逆に教わるときには自分がどう考えてそういう考えにいたったのか説明したほうが教えやすいと思われるんだろうな〜とか考えます。
まだ22歳なので今後教わる事のほうが多い訳ですからそういう意味ではもっと「教わり上手」になっていかないとだめかなと。
自分で考えるより上司に聞いた方が圧倒的にはやく解決できることのほうが多いです。そこで大事なのは「答えを教えてください」ではなく、「自分はどう考えたか、今どういう考えを持っているか」を伝え「自分でも考えましたが微妙なのでアドバイスください!」という姿勢ではないでしょうか。
そうすると部下がどう考えたかわかり(実力も)、教える方もアドバイスしやすいわけです。
こいつ伸びそうだから教える価値あるな、と思われたら勝ち。誰だって可能性のない人に自分の時間を使って教えるなんて面倒じゃないですか、正直なところ。
まあ教える事についてはまた今度かこっと。
頼むから慶應薬学部受かってくれ〜!